『幸福な王子』という小説をご存知でしょうか。本書を読んで、このツバメがサラリーマンの自分自身を移しているようで「身につまされるなぁ」と思ったのは私だけでしょうか?
■『幸福な王子』
さて、おそらくこの物語はほとんどの方がご存知だとは思いますが、ちょっと思い出していただくために、Wikipedia から引用。
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ある街の柱の上に、「幸福な王子」と呼ばれる像が建っていた。
かつてこの国で、幸福な生涯を送りながら、若くして死んだとある王子を、記念して建立されたものだった。両目には青いサファイア、腰の剣の装飾には真っ赤なルビーが輝き、体は金箔に包まれていて、心臓は鉛で作られていた。
とても美しい王子は街の人々の自慢だった。しかし、人々が知らないことが有った。その像には、死んだ王子自身の魂が宿っており、ゆえに自我を持っていること。王子が、この町の貧しい、不幸な人々のことを、嘆き悲しんでいることである。
渡り鳥であるが故にエジプトに旅に出ようとしていたツバメが寝床を探し、王子の像の足元で寝ようとすると突然上から大粒の涙が降ってくる。王子はこの場所から見える不幸な人々に自分の宝石をあげてきて欲しいとツバメに頼む。ツバメは言われた通り王子の剣の装飾に使われていたルビーを病気の子供がいる貧しい母親に、両目のサファイアを飢えた若い劇作家と幼いマッチ売りの少女に持っていく。
エジプトに渡ることを中止し、街に残ることを決意したツバメは街中を飛び回り、両目をなくし目の見えなくなった王子に色々な話を聞かせる。王子はツバメの話を聞き、まだたくさんいる不幸な人々に自分の体の金箔を剥がし分け与えて欲しいと頼む。
やがて冬が訪れ、王子はみすぼらしい姿になり、南の国へ渡り損ねたツバメも次第に弱っていく。死を悟ったツバメは最後の力を振り絞って飛び上がり王子にキスをして彼の足元で力尽きる。
その瞬間、王子の鉛の心臓は音を立て二つに割れてしまった。みすぼらしい姿になった王子の像は心無い人々によって柱から取り外され、溶鉱炉で溶かされたが、鉛の心臓だけは溶けず、ツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられた。
天国では、下界の様子を見ていた神が天使に「この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい」と命じ、天使はゴミ溜めから王子の鉛の心臓と死んだツバメを持ってくる。神は天使を褒め、そして王子とツバメは楽園で永遠に幸福になった
Wikipedia より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AA%E7%8E%8B%E5%AD%90
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■献身的行為はだれが見ても感動する
王子が、貧しく心優しい人々を救うために自己犠牲をいとわず救いを差し伸べること自体は非常に感動します。筆者も子供の頃これを読んだときには、結構感動した記憶があります。
ただおとなになってサラリーマンとして働いている今はと言うと、「この王子、ちょっとアレだよな」と思うことがあります。
王子は銅像ですから当然動けません。「動けないけど助けたい」と思っているときに都合よくツバメがやってきます。そしてツバメに「ちょっと頼まれてくれないかなあ」と頼むわけです。気のいいツバメは、その「ちょっとのことを」頼まれて王子のいうとおりに仕事をします。
で、ひと仕事終わって戻ってくると、また「ちょっと」というわけです。
ここらへんで、私などは「ん?」と疑問符を浮かべてしまうのですが、人の良いツバメは疑問に思いません。行って見聞きしたことを王子に伝え、王子がそれに対して「ちょっと」というのを次々と叶えてあげるのです。
結果として、ツバメは渡りの季節が終わってしまい、ついには凍え死んでしまいます。
ツバメは「やりきったぞ!」と思って死んでいったでしょうか?
実は、本書の名前をググってみると
幸福の王子
幸福な王子
の2パターンが出てきます。Wikipediaでは「な」を採用しているようです。現題は「The Happy Prince」なので、「な」が良さそうな気もしますが、話からすると「幸福を届ける王子」という意味で、「の」もありかなと思ってしまいます。つまり、王子は幸福だったのではなく、人々を幸福にしたという意味で。
でもツバメはどうだったでしょう?
私などは、立体駐車場のスロープくらい根性が曲がっているからなのか、ツバメを不幸にした疫病神にしか見えませんね。
その上、最後に王子は神様から救われますが、ツバメは放置です。頑張って最もワリを喰ったのはツバメだっただろうに。
■人の夢を手助けするには覚悟が必要
こういうことはよくある事かもしれません。
たとえば、あなたの会社の経営者は盛んに夢を訴えているはずです。「この会社は世のため人のためにこんな貢献をしたいんだ」的な。たとえば、「私達は世界の人々の健康と心の豊かさに奉仕します」「お客様の信頼と感謝に基づき社会に貢献します」みたいな感じでしょうか。
※注:これは私が勝手に考えたもので、実在の企業とは関係ありません。類似のミッション・ステートメントを持った企業もあるかと思いますが、それら企業を貶める意図は全くありません。
それらの言葉自体に間違いはありません。素晴らしいことだと思います。
それに対して「そうだ!社会のために頑張ろう!」と心から思えればいいのですが、その結果越冬できずに死んでしまう覚悟も必要なこともあるのではないかと心配します。
■他人の夢より自分の希望
当然会社では儲かれば儲かるほど、そして上位の職位にいるほどリターンが大きくなります。
逆に言えば、従業員の一人に過ぎないあなたは固定給、どころか、「この先の景気変動が読めないから」と減給されているかもしれません。
それよりも職場が楽しい、仕事がおもしろい、ここなら成長できる、という「具体的な利益」のほうを優先しましょう。
他人の夢につきあう必要はありません。
それよりも自分のためになることをしましょう。ただ自分勝手には走れないのがサラリーマンなので、他人の夢ややりたいことをうまく利用する方法を考えることです。
今やっている仕事で、あなたのどんなスキルを磨けますか?
今持っているスキルをより高めていく方法は何でしょうか?
それをするとあなたにどんなキャリアができますか?
それがいちばん大切なことです。
だって、世の中の人を幸せにするなら、まず自分から幸せにならなくちゃ。「まず隗より始めよ」です。
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