禅の言葉に「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」という言葉があるそうな。
これは「お茶を飲むときにはお茶のことに集中して、ごはんを食べるときにはご飯に集中するべし」という意味なのだそうですが、そう言われてみると、コーヒーを飲みながら話をしていると、どんな味のコーヒーだったのかは大して記憶に残りませんよね。
最近はスマホ片手に、あるいは新聞を横に広げながらご飯を食べていたりするのではないでしょうか。
■人の話を聴いてますか?
「きく」という言葉には、「聞く」「聴く」「訊く」の3種類の漢字がある、というのはよく傾聴などのセミナーで言われることです。ここではあえて「聴く」にしてみました。
「喫茶喫飯」をしない私達(「達」は失礼か?)は、部下や同僚が話に来ても、ついチラチラメールを見たり、手元の資料を読んだりと、相手の様子に集中していないことがしばしば。
どうも、いろいろ忙しいと、つい「同時動作をさせたい」みたいにしちゃいますよね。たかが5分の話をする時間を惜しんで…。
人間のコミュニケーション能力の大部分は視覚から入る情報だそうです。
それを、別のことに振り向ければ当然、相手から入る情報量は激減します。その上、脳は2つのことを同時には処理できないので、頻繁な「モード切り替え」をしますから、理解も進まない。
最終的に相手が言いたいことを表面的にしか理解できないので、妙な誤解や誤訳になって、話がネジ曲がっていくという悪循環が生じます。
相手の表情の細かい所、手の振り方の微妙な違いなんて読めるわけはありません。
つまり聴けてない。
先日、アメリカのIBMが在宅勤務を廃止した、というニュースが流れてましたが、これも同じことなのかもしれません。仕事を論理的に分解すると、メールと電話さえあれば仕事はできるはず。在宅勤務でも仕事は進むはずなのに、やっぱりフェイス・トゥ・フェイスにはかなわない理由がここにありそうです。
■話を聞くときには話に集中する
顔を突き合わせて仕事をすればいい、と言うものではありませんが、相手の表情やしぐさを読むことがなければ、やっぱり仕事はできないみたいです。
当然の結論ながら、人の話を聴くときには、その話を全力で集中して聞きましょう、ということです。
相手も「ちゃんと聴いてくれている」という安心感がありますし、集中していれば、当然相手の話を理解したり記憶したりすることができるようになります。
「集中する」というのは、それ以外のことをしないだけではなく、それ以外のことが頭に浮かんでも、すぐにそれを取り払ってしまう、ということだと考えています。
これをするようになると、結局話し合いが物別れに終わっても、相手からの信頼を得られるようになります。「一言一句聞き逃さないぞ」「表情やしぐさの変化を見逃さないぞ」という意気込みが相手に伝わるようにすれば、「今回は良い結論は出なかったけど、この人は一生懸命聴いてくれる」と相手が思ってくれるようになります。
結局、仕事がうまくまわるかどうかは、相手が自分のことを信用してくれるかどうかが結構大きなウエイトを占めているので、こういう基本的な態度の積み重ねが重要なのかもしれません。