上杉鷹山ってご存知でしょうか?
たぶんですが、知らない人のほうが多いような気がしますが、この人、経営者にはわりと人気があるようです。
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上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) / 上杉 治憲(うえすぎ はるのり、1751年9月9日 - 1822年4月2日)は、江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。諱は初め勝興、後に治憲であるが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名である。
出典:上杉治憲 - Wikipedia
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この上杉鷹山の名言に
「なせばなる なさねばならぬ 何事も」
※ちょっとウンチクを言うと、この全文は「}なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり}」です。
という言葉があります。こっちは知っている人が多いかも。
あと、ケネディ大統領が尊敬する日本人として上杉鷹山を挙げたことも逸話として残ってます。
※本当かどうかは知りません。
■限られた資源の中で結果を残す
個人的な解釈ですが、この上杉鷹山という人は、江戸中期の人なので、過去の織田信長や徳川家康のように戦争をして領土を増やして栄達するという方法が取れませんでした。幕藩体制というガッチリした仕組みの中で「うまくやる」しか方法がなかったわけです。
江戸中期というと、商業が発達して、土地を基盤としていた武家が経済的に行き詰まって行く時代です。
上杉鷹山の米沢藩も同様に経済的に苦しい時期に17歳で藩主になります。苦しいからと言って重税をかければ、将来的にはますます困窮することになるので、そういう策も取れない。
上杉鷹山は、藩主として、藩の資源を有効活用して、藩の財政や民政を立て直していきます(詳しくは鷹山の伝記を読んでみてください)。結果として、破綻寸前だった藩財政を立て直し、借金の返済も完了の道筋をつけます(完済したのは次々代)。
こういう、戦争ではなく、藩という枠に縛られた状態の中で、限られた資源を活用し、有能な人を登用して藩を繁栄に導いたところが、経営者から好かれる理由なんでしょうかね。
■「たらない」から始める
「これがない」「あれがない」「これはできない」といった不足は仕事をしていれば常にあります。
○○が十分にあれば△△できるのに
××がなければ、できたのに
だれも助けてくれない
こういうことをつい、いいたくなる時がありますが、ないもののはありません。それを言っても何も解決しないですし。
「不足している」状態が当たり前なわけです。最初から全てを持っていて、できて当然な仕事は起きてきたためしがありません。
いつも、なにか不足していて、それを今ある資源で補ったり、別の方法を考えたりして、なんとか仕事をこなしていくしかないわけです。
ないものを一生懸命考えていても、何も起きません。
「あるものをどう使うか」を}一生懸命}考えると、なんとかなるものです。
一生懸命考えて、それでやってみて、うまく行かなかったらもう一度考え直して、とやっていると、それなりに前に進んだりします。その後は、こんなモットーを言ってみることにしています。
なるようになる、なるようにしかならない
※放置しておけば自然にうまくいく、ということではありません。
上杉鷹山をそれほど尊敬しているわけではありませんが、この人のやり方というのは、今のサラリーマンの仕事の指針としてもそれなりに有効なのではないかと思ってたりします。