■所有すること
「知識労働(ナレッジ・ワーク)」や「知識経済(ナレッジ・エコノミー)」という概念を最初に提唱したのはP.F.ドラッカーみたい(Weblioより)ですが、彼が提唱したことも
「知っている」ことより「知っていることを成果に結びつけること」
を強調しています。
ところが、仕事をする上で、どんどん専門化・細分化が進み「知っているべきこと」が膨大になってくると、人間の頭では全てのことを知っていることができなくなってきます(少なくとも私程度では)。
「知識を所有している」状態というのは、限界がある
ということです。
本も同じで、1年に何百冊も本を読もうとして購入を続ければ、10年も続ければ、ひと部屋は本棚で埋まってしまう。
全部を読まずに部分的に参考にする本まで入れたら、そのうち自分の興味のある分野の図書館ができちゃう。
この先は、知識にしろ本にしろ、所有するのはムリになっていくのではないでしょうか。
■所有せずに活用する方法
どんどん昇進していく人の特徴でもあるのですが、仕事が上手い人は、仕事が下手な人より多くの知識を蓄積しているかというとそうではないようです。
つまり、過去記事でも時々書いてますが、どこにどんな情報があり、それをどのようにすれば引き出して使えるのかを知っていることが、最近の仕事ができる人の条件のようです。
とても単純な言い方をすれば、仕事ができる人の特徴のひとつは顔が広いです。
もちろん、これだけではありませんが。
当然、基礎的な知識は必要です。これがないと相手が言っていることが理解できないですから。
しかし高度な知識はそれを専門とする人に任せておけばよくて、自分が蓄積していく必要はないんですね。
いまどき、「知識労働とは」っていうのは知らなくても、ちょっとWebで検索すればいくらでも出てきます。
知識として持っている事自体は、相対的に価値は低くなっているということだと思います。
※「価値がなくなっている」わけではありません。「より価値の高いものができた」ということです。
相対的に価値が高まったものは、その知識を素早く引き出せるアクセスルートを持っていることと、引き出した知識を現実に適用するノウハウです。
本にしても、そこに書いてあることを必要なときに思い出せなかったら、何千冊持っていても意味はありません。
すべてを覚えておくことはできないので、私は読書記録をテキストファイルで書いておいて、それを Grep することで、どの本の何ページ目にどのようなことが書いてあったのかを記録してます(ねぎま式読書ノート参照)
それを抽出してしまえば、物理的な本はお役御免。とっておく理由はなくなります。
本より漬物石のほうが漬物が再生産できるぶん役に立ちます。
以前は、「もしかして…」「もったいないし…」みたいな意識がありましたが、記憶も記録もない本を、何かで再利用することはありません(経験値)。
■アクセスルートを持つこと
別記事
ファーストコールを受ける窓口になる
でも書きましたが、情報や知識の流れの交差点にいると、誰がどのような情報を持っているかがわかるようになります。
自分のやりたいことに対して、だれにどのようなお願いをすれば、それができるのかを知っていることが最強の知識(コア・コンピタンス)になるのかもしれません。
ある目的を達成するために必要な知識は、どこにあるのか、どうやったらそれが引き出せるのかというルートをどのくらい持っているかが成果の大きさを変えているキーパーツのひとつかと思います。
「Google 君に聞く」だけではちょっと心もとないかも。
本にしても、所有することに意義はないと考えています。
どの本にどのようなことが書いてあったのかを調べるすべがあることに意義があるように考えています。
■余談―書籍の全文サーチ
私の知る限り、書籍を全文検索できるのは、
国立国会図書館サーチ(NDL Search)
Googleブックス
BOOK☆WALKER
くらいです。ただ、単純な単語を検索するとめったやたらに引っかかって途方に暮れます。
その点、Googleブックスは、ヒットした部分を表示してくれるのでとてもありがたいです。残念ながら、中身のみられる本の絶対数は少ないですが。
私は、過去に読んだ本を情報の取っ掛かりにすることが多いので、読書記録(ねぎま式)は必須だと、個人的には感じてます。
私の読書記録については、
読書記録をつける
ねぎま式読書ノート
要約をつくる方法
をご参照ください。