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1950年の1月3日、父と私は、父のむかしからの友人であるあの有名な経済学者シュンペーターを訪問した。当時 66 歳ですでに世界的に有名になっていたシュンべーターは、ハーバード大学で教え、アメリカ経済学会の会長として活躍していた。
オーストリア大蔵省の官僚だった父は、大学で経済学を教えていた。1920 年、父は(9歳の秀才シュンペーターと出会った)2人にはまったく似たところがなかった。シュンペーターは雄弁で、行動家、自信家だった父は静かで落ち着いた謙遜家たった、2人の友情はずっと続いていた。
すでにシュンペーターーは名をなしていた。ハーバードでの最後の年を迎えていた。その名は絶頂期にあった。
2人はむかし話を楽しんだ。
いずれもウィーン生まれで、ウィーンで仕事をしていた。
2人ともアメリカに移住してきた。シュンペーターは、1931年に、父はその4年後に移住した。
突然、父はこにこしながら、「ジョセフ、 自分が何によって知られたいたいか、今でも考えることはあるかね?」と聞いた。
シュンべンターの大きな声で笑った。私も笑った。
というのは、シュンベンターは、あの2冊の経済の傑作を書いた30歳ごろ、ヨーロツバ一の美人を愛人にして、そしておそらくは、世界一の経済学者として知られたい」と言ったことで有名だったからである。
彼は答えた。「その質問は今でも、私には大切だ。でも、昔とは考えが変わった。今ではひとりでも多くの優秀な学生を一流の経済学者に育てた教師として知られたいと思っている」。おそらく彼は、そのとき父の顔に浮かんだ怪訝な表情を見たに違いない。
というのは、「アドルフ、私も本屋理論で名を残すだけでは満足できない歳になった。人を変えることができなかったら、何も変えたことにはならないから」と続けたのである。
彼はその 5 日後に亡くなった。父が訪ねていったのも、シュンペーターの病気が重いことを聞き、あまり長くないと思ったからだった。
私は、今でもこの会話を忘れることができない。私は、この会話から三つのことを学んだ。
一つは、人は、何によって人に知られたいかを自問しなければならないということである。
二つめは、その問いに対する答えは、歳をとるにつれて変わっていかなければならないということである。成長に伴って、変わっていかなければならないのである。
三つめは、本当に知られるに値することは、人を素晴らしい人に変えることであるということである。
P.F.ドラッカー(著) 『プロフェッショナルの条件』
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ドラッカーがここで言いたかったことは、最後の三つに集約されています。
よく自己啓発書で「お葬式の時にどの様な送辞を読まれたいか」という質問が出てきます。
これは、この「三つのこと」を集約したものでしょう。
何かの記録に残るよりも誰かの記憶に残る。
それがドラッカーの目指した真のプロフェッショナルなのかもしれません。
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